ペンと透明水彩で描いた自作の紹介やアート観賞のレビューなど。
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東京八重洲にあるブリヂストン美術館で行われている「カイユボット展」へ行って来ました。カイユボットは日本ではあまり知られていない、都市を描いた印象派の画家。日本での本格的な展覧会は今回が初めてだそうです。
画家としてよりも、コレクターとしてのほうが有名だそうですが、ものすごい「ボンボン」ぶりでした!お金持ちの家に生まれ、若くして父親の莫大な財産を相続し、職につくことなく(画家が仕事といえば仕事だったのかもしれませんが)、絵を描きながら、切手収集、カヌー、ガーデニングなどを趣味として楽しみながら、弟と遊び暮らしたそうです。趣味といっても、ガーデニングは郊外に庭園を作り、カヌーは造船の設計までしたらしく、現代で一般市民が言うところの「趣味」とはかけはなれた領域です。
ピサロやモネやマネなど、多くの画家たちのパトロンでもあったそうで、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」やドガの「エトワール」を死後オルセー美術館に寄贈したそうです。
さて、そんな浮世離れしたカイユボットの描く作品。
後期には自然を描いた作品が多かったようですが、やはり若い時代の大都市パリを生きる人々を描いた作品に惹かれました。
「昼食」
カイユボット家の昼食風景。
「室内ー窓辺の女性」
同じ絵の中にいる複数の人物が視線を合わすことなく、距離感を持って描かれています。解説によると、上流階級の親子や夫婦の倦怠感や冷たさを表しているそう。
代表作のひとつ、「ヨーロッパ橋」。
左手のカップルこそ一応向き合っていますが、あとの人々や犬はひとりぼっち。華やかなルノワールの絵のように、笑顔の人は誰もいません。
洗練されているせいか、確かにクールな感じは受けますが、深い悲しみや強い憎しみというよりは、小さな不安や不満を表しているように思えます。愛に溢れている感じはないけれども、憎しみ合っているわけでもない。不自由のない暮らしで、だいたいは幸せ。でも、だからこそ感じるちょっとした不満。そんな現代的な暮らしの中の小さな亀裂が描かれているようです。
一方で、家族や夫婦だからこそ、視線を合わせなくても、会話がなくても一緒にいられるという、ある意味においての絆みたいなものも私には感じられました。
描き方として注目したのは人物の配置。
完成作品のクロッキーや習作も一部展示されていましたが、登場人物のひとりひとりのクロッキーを描き、習作で完成作品と同じように配色していました。描きたい世界を表現するために、綿密な組み立てがされています。
師匠が、人物を入れる完成作品(いわゆるタブロー)には描き手がプロデューサーのように登場人物の配役と動きを決めて画面においていく必要があるとよく言っていますが、その重要性を感じるカイユボットの作品でした。
カイユボット展は12月29日まで。
東京駅八重洲地下街を歩いてすぐ近くまで行ける便利な場所にあります。日本ではマイナーなせいかそれほど混雑しておらず、ゆっくり観賞でき、おすすめです。
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画家としてよりも、コレクターとしてのほうが有名だそうですが、ものすごい「ボンボン」ぶりでした!お金持ちの家に生まれ、若くして父親の莫大な財産を相続し、職につくことなく(画家が仕事といえば仕事だったのかもしれませんが)、絵を描きながら、切手収集、カヌー、ガーデニングなどを趣味として楽しみながら、弟と遊び暮らしたそうです。趣味といっても、ガーデニングは郊外に庭園を作り、カヌーは造船の設計までしたらしく、現代で一般市民が言うところの「趣味」とはかけはなれた領域です。
ピサロやモネやマネなど、多くの画家たちのパトロンでもあったそうで、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」やドガの「エトワール」を死後オルセー美術館に寄贈したそうです。
さて、そんな浮世離れしたカイユボットの描く作品。
後期には自然を描いた作品が多かったようですが、やはり若い時代の大都市パリを生きる人々を描いた作品に惹かれました。
「昼食」
カイユボット家の昼食風景。
「室内ー窓辺の女性」
同じ絵の中にいる複数の人物が視線を合わすことなく、距離感を持って描かれています。解説によると、上流階級の親子や夫婦の倦怠感や冷たさを表しているそう。
代表作のひとつ、「ヨーロッパ橋」。
左手のカップルこそ一応向き合っていますが、あとの人々や犬はひとりぼっち。華やかなルノワールの絵のように、笑顔の人は誰もいません。
洗練されているせいか、確かにクールな感じは受けますが、深い悲しみや強い憎しみというよりは、小さな不安や不満を表しているように思えます。愛に溢れている感じはないけれども、憎しみ合っているわけでもない。不自由のない暮らしで、だいたいは幸せ。でも、だからこそ感じるちょっとした不満。そんな現代的な暮らしの中の小さな亀裂が描かれているようです。
一方で、家族や夫婦だからこそ、視線を合わせなくても、会話がなくても一緒にいられるという、ある意味においての絆みたいなものも私には感じられました。
描き方として注目したのは人物の配置。
完成作品のクロッキーや習作も一部展示されていましたが、登場人物のひとりひとりのクロッキーを描き、習作で完成作品と同じように配色していました。描きたい世界を表現するために、綿密な組み立てがされています。
師匠が、人物を入れる完成作品(いわゆるタブロー)には描き手がプロデューサーのように登場人物の配役と動きを決めて画面においていく必要があるとよく言っていますが、その重要性を感じるカイユボットの作品でした。
カイユボット展は12月29日まで。
東京駅八重洲地下街を歩いてすぐ近くまで行ける便利な場所にあります。日本ではマイナーなせいかそれほど混雑しておらず、ゆっくり観賞でき、おすすめです。
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